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MACHIKO TALKまちこのお話の散歩道

No.10
“義母の旅立ち”

追悼---
義母  2009年12月9日 20時  100歳10ヶ月  孫たちに囲まれながら老衰の為
安らかに永眠いたしました。  戒名に寿を入れられて・・・

何かの時はと、義母から言われていた風呂敷の中身を開けてみると、カタカナで書いたメモ?
「ワタシガシンダラ  コレヲキセテクダサイ  マチコ様」 「コレオモタセテクダサイ」と 認知症になる以前に用意していた旅立ちの装束と持っていくもの。
このメッセージに全てが込められているのを感じます。
一番驚いたのは戒名も生前に用意されていた事、信心深い義母らしい・・・
みんなに迷惑をかけることなくすべて用意して、見事でした。
私にまるで「まちこさんも こうせな あかんな」と言っているようで。
100歳 天寿を全うしたのですから喜ばしいことではありますが、涙を止めることはできず グチャグチャの3日間。  誰よりも長く一緒に波あり谷あり  重たかったり 愛しかったりの人生を共に過ごしたのですから。

義母は明治  大正  昭和  平成そして、戦前戦中を生き抜き戦後は、息子達(主人と兄二人)を先に亡くし、今に至っています。
その分の命をいただいたのは言うまでもなく、孫6人の父親あるいは母親的存在で6人の孫にとっては  特別なばあちゃんでした。
喪主は長男が務め  孫たちがすべてを取り仕切り 密やかではありましたが、
愛いっぱい涙なみだの別れとなりました。
息子の義理の父親より「お疲れ様でした。愛情いっぱいで、大変良い別れの式でした。三銃士の連携は見事で、大勢のきょうだいたちの優しさも、十分伝わりました。」
と言っていただきました。
義母にとっても 私にとっても一番良い形になったのではないかと感じます。
義母からはいいもわるいも多くのことを学び、90歳を過ぎてから認知症を発病しましたが、そのおかげで息子達共々十分お世話ができ恩返しができたのではないか・・
最後は可愛い義母に戻って、私が上手く世代交代ができるまでなんとか  時期を考えて生きて待っていてくれたようで・・・今やっと。  よかったね、ありがとう  ばあちゃん  父さんや義兄さんに報告よろしくお願いしますね~。
  合掌

追伸
本年もご愛顧ご愛飲ご愛読ありがとうございました。
本年は別れと出会い年になりました。
悲しみからも喜びからも学びと気づきをいただき、養いは毎年形を変えて訪れます。
今後も自分を極める努力と  少しでも幸せづくりのお手伝いができますように、皆様のご多幸をお祈りいたします。
  早川  まち子

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